【第1章】1 企業経営と安全②
1-1 安全第一(safety-first)
多くの工場や建設現場などで見かける「安全第一」は、1906(明治39)年に、アメリカの大手鉄鋼会社であるUSスチール社のゲーリー社長が、工場の経営方針を「安全第一、品質第二、生産第三」と改めたことに由来するといわれています。
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当初、社長の提案に反対する重役もいたようですが、その反対を制して方針を変えた後の同社は、労働災害が減少しただけではなく、品質もさらに改善され、生産高も伸びたということです。また、「安全第一」は社内にとどまらず、アメリカ全土の産業界に影響を与えていきました。
わが国では、ゲーリー社長のエピソードに影響を受けた古河鉱業足尾鉱業所の小田川全之(おだがわまさゆき)所長が大正元(1912)年に「安全専一」を掲げ、「安全心得読本」を配布したのがその始まりとされています。
1-2 労働災害発生状況
戦争を経た昭和30年代から40年代にかけて、戦後復興・経済発展に伴い労働災害も著しく増加していきました。当時は、労災被災者が年間170万人を超え、昭和36(1961)年には、死亡者が6,712人という(統計上)史上最悪を記録しており、その後昭和47(1972)年の労働安全衛生法制定を経て死亡者が激減するという経過をたどっています。
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1-3 労働安全衛生法の成立
労働災害の増加に対応するため、国(旧労働省)は昭和33(1958)年に「第一次産業災害防止5か年計画」を策定するなど、防止に向けた取り組みを始めました。
しかし、新たな機械設備や生産システムの導入が進むなど急速に変化する労働環境で、それまでになかったタイプの労働災害や職業性疾病も発生するなど、労災発生件数や死亡者数は依然高止まりの状況が続きました。
昭和44(1969)年に至り「労働基準法研究会」が設置され、多発する労働災害に対応するための法策定が提言され、それをもとに昭和47(1972)年に、それまでの労働基準法第5章(安全及び衛生)から分離独立した法律である「労働安全衛生法」と関係規則が制定され、その後労働災害は大きく減少していきました。
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